もっと大事な祈祷課題あったしww

結婚のことも大事だけど、
もっと緊急の祈祷課題!!

 

神様!

これからの一年間の糧を、
どこから得るべきですか?
「エリヤのカラス」はどう見分けられますか?

母教会の支援を感謝して受け取るべきですか?

それともあなたは、もっと別のところから与えようとしておられますか?

もしくは、ある程度一般的な職業を兼ねることを導いておられますか?
庭師でも日雇いでも派遣でも、
あなたにやれって言われたら何でもやれるはずです。

これがわからないままだと、
来週の月曜日に先生になんて答えていいかわかりません。
迷惑かけちゃいます。

一年前具体的に「C教会、○ロッジ」って教えてくれたみたいに、
今度もどうか具体的に、わかりやすくお願いします。

あなたの声を聞くのにふさわしい信仰生活を送ってるなんて
口が滑っても言えない状態だけど、
あなたが答えてくれるのはおれが「ちゃんとやれてるかどうか」なんかには
関係ないってことだけは信じてます。

教えていただけないと前に進めない、
それしかないです。

もう人間的な計画には頼れません。

個人的な願い、展望はあるけど、
あなたのGOサインがないと何もできない。

あと、支援をどうしていただくかの答えのほかに、
おれが面接で失礼なこととか、生意気なこととか言ってしまわないようにも
助けてください。

いろいろ思うところはあっても、
本当に祈られてて、大切に育ててもらってきたんだから。

そして今あなたから示されていることを、
プレッシャーに負けずに適切に説明することができるように
知恵と勇気を与えてください。

 

今頭の中に浮かんでるのは、こういう感じです。
神様、おかしいところ、足りないところ、余計なところがあったら
どうか教えてください!
わかりやすく、具体的にお願いします!!


「私のために何か支援を、と先生方を始め○○教会の皆さんで
 大きな愛を持って考えていただいていることは本当に感謝です。
 すでに神学校生活の三年間にも、教会会計や、個人名義の尊い献金に支えられて
 ここまで学びを続けることができました。
 ただ、今まで何の心配もなく必要なものは全て与えられて生きてきましたが、
 それは私自身の信仰とは関係なく与えられてきたものでした。

 でもこれからは、たとえ人間的な頼みが全て絶たれたとしても
 必ず神様が必要を備えて下さるという信仰を自分で持って生きていきたいのです。
 なので、私の生活のためにいくら必要かではなく、
 ○○教会として「セクシャルマイノリティのためのミニストリー」に
 献金するかどうか、もしくはいくら献金するかという尺度で
 決めていただければと思います。

 昨年の面接の時点では○○教会で仕えることを前提にしたような
 様々な方向性のヴィジョンを語っていたため、
 その頃と比べて随分方向転換したように見えて
 混乱させてしまったのであればお詫びします。

 しかし、やはり神様の召しは、
 私自身に与えられたこの特別なセクシャリティと、
 それによる苦悩を通して与えられた神様との特別な関係、
 その過程をすべて含めたものが「賜物」であり、それを活かして
 同じくセクシャリティのことで苦しむ多くの人たちに仕え、
 彼らと共に主の前に出る、そのような働きにあることを
 この一年で確信させられています。

 先日の除夜祈祷会で短く証しさせていただきましたが、
 イザヤ45:2~4が与えられています。

 <ミニストリーの趣旨について>
 このミニストリーは、受洗者の人数で成果が測れるような働きではありません。
 私の働きが福音を伝えることであるのは確かですが、
 私のようにセクシャリティの悩みを抱えた人間というのは、
 イエス様を信じることで罪赦され、永遠の命を得られたとしても、
 今地上でこのからだと心を持って生きていく間は、
 セクシャリティが神様との関係の障害がある限り
 根本的な救いを得ているとは言い難い状態にあります。

 そのような、セクシャリティにおいても神様の前で
 後ろめたさや責めを一切取り去られ、
 神の子としての健全な尊厳を回復できるまで導くことができてこそ、
 包括的な福音伝道と呼べると考えています。

 もちろんセクシャリティのことでなくても様々な分野でそういうことは
 あると思いますが、ことこのジャンルの問題に関しては、
 教会や牧師による人格疎外が顕著になりやすく、
 緊急にケアが必要であり、当事者以外にはなかなか理解され難く
 対応が難しい問題でもあります。

 牧師やクリスチャンの家族に頭ごなしに否定されたがために、
 救われていながら葛藤の末教会を離れてしまったり、
 否定・断罪されるのではという恐怖のゆえに、
 信仰は捨てずとも教会の誰にも打ち明けられず苦しみ続けたり、
 はては追い詰められて自死を選んでしまった当事者も
 少なからずいるという現状です。

 こと牧会者は、聖書という絶対的基準を持っていると思っているがために、
 その解釈までもが絶対的に正しいと思い込み、
 傷ついて悩み苦しむ当事者に追い打ちをかけるような裁きをしてしまうか、
 そうでなくても勝手に罪人、病人と決めつけて
 (もちろん誰もが罪人であり病人であることは確かですが)、
 本来なら当人と神様との間で信仰による対話によって模索されていくべき
 人生の方向性までも、独断で押し付けてしまうようなことが非常に多いのです。

 だからこのミニストリーでは、
 もちろん神様をまだ知らない人にも寄り添い、福音を伝えますが、
 『すでに神様を信じてはいるがセクシャリティの問題で傷つき、
  教会や神様との関係がおかしくなったままのクリスチャンのところに行って
  ともに悩み苦しみながら祈り、受けてきた心の傷のいやしを願い、
  その人が直接神様との正しい関係になれるためのお手伝いをしていく』、
 そのような働きがメインとなるかもしれません。

 また、
 『悩みの中にいる当事者たちを裁くのではなく
  愛を持って受け入れていただけるように、
  人の価値観によって矯正しようとするのではなく
  神様だけが知っておられる解決の道が開かれることを
  共に祈り求めることができるように、
  教職の方々、信徒の方々に働きかけていく』必要もあります。

 チャンスがあればいつだって伝道はしたいですが、
 一年間でたったひとりの求道者を信仰に導くことがない可能性も十分にある、
 そのような性質の働きなのです。
 (そもそも私の関わった誰かが洗礼を受けたとして、
  それを私の導いたことと考える資格は私にはありません)

 魂の救いは絶対に必要なことですが、たましいばかり見て、
 目の前のひとりの人格の苦しみを後回しにして
 罪の赦しだけを語り悔い改めを迫ることはできません。
 イエス様も、そのようなやり方は決してなさらなかったと思います。

 <今後の展望について>
 今はまだ、あまりにも狭い世界しか見えていないので、
 ここを卒業してからすぐにどこかの既存の働きに加わることは
 よほど明確な導きがない限りは、現実的ではないと思っています。

 まずは様々なセクシャルマイノリティの当事者や、
 同じビジョンによってすでに働きをしていらっしゃる方々に現状を聞いたり、
 今後協力して働くためのネットワーク作りをすることが必要だと感じているので
 (どんな宣教もそうですがこの働きは特にチームワークが大切と思います)、
 神様がお許しになるならば、卒業後しばらくは
 そのような「出会いの旅」をしたいと考えています。

 また様々な教会の礼拝に、宣教者としてではなく
 『一(いち)セクシャルマイノリティ当事者』として参加し、
 その教会の育ちでもない人間がそこでどのような扱いを受けるのか、
 もしくはどのような愛を持って受け入れていただけるのかを
 身を持って知る体験もしてみたいと考えています。

 以前は、神学的な根拠を固めるために米国などへの留学が必要と
 考えていたこともありましたが、この一年様々な出会いや出来事を通して、
 先人が研究や議論を重ねてもまだ結論に至っていないこの複雑な問題に関しては、
 なによりも多くの当事者の声に耳を傾け続け
 共に祈り続ける以外に道はないと感じ、
 その上でさらに必要を覚えたならば、またそのような学びの場に
 行くことにしたいと考えています。

 ○○教会で、主日礼拝を中心とした様々なご奉仕などで
 切実な必要があることは理解しています。
 もしも神様が明確にお示しになるのであれば、個人的な計画は手放して
 ○○教会にフルタイムで仕えることも拒むつもりはありません。

 一年前までの私なら、人間的な尺度で○○教会のニーズを測り、
 「自分がここに残って仕えなくては」と短絡的に判断していたことでしょう。

 しかし、神様は、本当に必要ならば、どこからでも何人でも、
 ○○教会のための働き手を遣わして下さるお方であると今は信じていますから、
 それが私であるならお従いするつもりですし、
 私がほかの場所へ召されているのなら、
 たとえこちらでの働きを要請されたとしても
 そちらの場所へ行かなければと思っています。」

 

だいぶ長くなっちゃったけど、こんな感じかなぁ。

今日(1/23)、□くんと◎さんにかなりじっくりシェアして、

ガッツリ祈ってもらった!

とても素晴らしい時だった。

話してるうちに自分の中でいろんなことがまとまってきたり、
ツナガリが見えてきたりしたし、
◎さんが確信を持って導きに関するヒントをくれたし。

しかも□くんが思い出させてくれて、
あのときの祈りが全部聞かれたことを気付かされた!!

やばい!!すごすぎる!!

あのときの祈りは、自分では書き留めてなくて、
振り絞るように祈ってるのを□が書き留めてくれてたもの。

それを今日見せてもらうつもりでいたけどすっかり忘れてた、
でも□の方から言ってくれたんだ。

読み返してみたらまぁ見事に全部答えられちゃってるんだよ…

また、忘れないうちにしっかりまとめて書き残さなきゃな。