神様、勇気とチャンスをありがとう!

昨日までの3泊4日は、母方の田舎。

宗教とか興味ないおじちゃん
元から人の話を聞かない上に認知症入りだしたおじいちゃん

そんなおじいちゃんの宗教に付き合わされて
宗教うんざりになった感じのおばあちゃん

この三人に伝道しなきゃというプレッシャーはきつかった。

 

まずは、2回の脳梗塞で体が不自由になって
つらい思いしてるおばあちゃんに徹底的に寄り添うこと、
それはわかってたから、
できるだけのことはしたけども、
お祈りも何度か一緒にできたけども、
やっぱり決め手の一押しはできずじまいだった。

というか、したつもりだけど、かわされたというか。

 

そんなわけで複雑な思いで帰ってきた昨日だった。

 

でも今日は、修士論文のためのLGBTインタビューに協力する中で、
わずかだけど最後に証しと伝道ができた!
って思うことがあった。

クリスチャンであることは生い立ちなどの紹介の中で話してあったけど、
ずっと様子を見ていた。

 「最後に、子供たちにこれを伝えて欲しい、って言うのはありますか?」

と訊かれたとき、「これだ!今しかない!」という確信があった。

 

「これは、個人の信仰から出ていることなので、
これを直接伝えて欲しいと言うのは無理だと思うんですけど、
是非これを伝えたいって自分が今思っていることです。

『君は神様が作ったユニークな作品なんだ。
 誰が何と言おうと、君は素晴らしい。神様に愛されてる。』

神様っていうことをダイレクトに言えなくても、
『君は愛されるために生まれてきたんだよ』
これは是非伝えたいと思っています。

自分も、性別違和のことで一番つらかったとき、
それがあったから死なないで乗り越えられたんです。」

 

インタビュアーの人も神妙に聞いてくださったけど、
思いがけず、一緒にインタビューを受けた当事者の一人が
「俺そういう話初めて聞いたんすけど、
 もしそういう風に神様を信じれてるなら、
 そのことってすごい嬉しいですよね!」
と、感動した様子で言ってくれた。

いつかもっと深く語れたらな。

基本的にイエーイって感じのタイプだけど、
こういう風に反応してくれたってことは絶対招かれてる。

 

神様、またチャンスをください。

そして、勇気を。

 

そして、解散した後もうひとりのLGBT仲間とパフェったんだけど、
その時にも少し、信仰の話ができた。
しかも、彼は、今後のサークル活動の中で是非
キリスト教セクシャリティの話もやってほしいと言ってくれた。

これも大きなチャンス。

 

ノンクリの中に出て行くこのような活動の中で、
神様が用いて下さろうとしてるのを感じる。

キリスト教界内に目を向けると怖くなることもたくさんあるけど、
神様が絶対導いてくださる、大丈夫だって何度も自分に言い聞かす。

朝は、悲しい記事を読んで憤ったり凹んだりしてたんだけど、
一気に元気になった!

 

この活動は、神様のため、また仲間たちのためと思ってしてるけど、
それがすごくおれを癒してくれる。

 

感謝だなぁ。