おれたちKingdom Builders

今朝は分かち合いの黙想に出席できた!!

(「黙想の早天」って呼ばれてるけど、
 おれは「分かち合いの黙想」って名付けたいね!)

分かち合いの相手は□君だった!

いつものおれならこの時点でテンション上がっちゃうとこだけど、
その前に今日の箇所である詩篇143篇読んで、
なんか打ちのめされた。

打ちのめされるような箇所じゃなかったはずなんだけど、
ここで神様に「祈りを聞いてください!
さばかないでください!」って求めてるダビデの祈りを、
自分の言葉として読んでたら
なんか急に「ああなんて図々しいんだろう!」って
後ろめたさでいっぱいになっちゃって。

懲りもせずに何度も何度も同じことで神様を悲しませていながら、
しっかりと悔い改めもしないうちに(それなりの自己嫌悪で終わって)、
「それはそれとして~」なんて自分の願い事はきっちり聞いてもらおうとしてる
自分の姿をありありと実感しちゃって。。。

 

けど、そう感じたってことを□君に話してるとき、
「でもそうやって後ろめたくして神様の方を向けないようにする心の動きは
 サタンのしわざなんだってわかっちゃいるんだけどね」って言いながら、
すでにわかってたはずなのに「ああそうだった!
あやうくまたサタンの巧妙な手口に引っかかって神様に背を向けるところだった!」
ってあらためてハッとなって、すぐに自分で変われないからって
神様に会わせる顔がないとか勝手に思い込む方が
みこころじゃないって気付いたんだ。

だって、どんなにうまく生きようとしてたって、
「神様に堂々と顔向けできる人生」なんてそうそう歩めないよ。

いや、人には不可能なんだよ。
神の目に義人なんて一人もいないって言うんだから。

だからといって、そのことが始末できるまで
神様のところに行かないなんておかしい!

それじゃあ十字架の意味がない!

そういうの全部抱えたまま、神様のふところに飛び込まなきゃいけないんだよね!

こういうことが、□君に話す中でおれのなかでハッキリしてった。

それに、□君が、おれの話を聞いて思い浮かんだ!って言って
ローマ5:3-5をくれた。

一見ドンピシャって感じではないんだけど、
不思議とスーっと心に入ってきた、特に5節後半の
「私たちに与えられた聖霊によって、
 神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
ってみことば、これを今日一日噛み締めてすごしてみたい。

 

 

そして□君自身のことも語ってくれた時に、
ふと思い当たった、おれがかつて貪り読んだ37篇をシェアしたら、
それがまさに今の□君に必要なものだったりね!

お互いに、ひとりじゃ出て来なかったことが、
交わりの中で引き出される。

かつて自分にとっても大切だったひとつのみことばが、
今現在戦いに置かれた兄弟を力づけることができた。

それも、この交わりを通して!

まさに、「神の国が私たちのただ中にある!!」

おれたちKingdom Buildersだぜイエーイ!!

 

たった20分のシェアタイムだったけど、
ほんとに充実してた^^ 
今日のシェアまで、□君を守ってくれて、
おれと□君を組み合わせにしてくれて、ありがとう!!

神様最高!!