全部つながってる!

きのうはいつものディボーションの時間にはチャペルがあるから、
起きてから6:40までが黙想なんだけど、
今までその時間は全然黙想なんかできなくて
ラジオ体操ギリギリまで寝てた。

でも、ここんとこすごい勢いでみことばもらったり
体験したりしてるから、
昨日はおそらく初めて
「みことば欲しい!
 みことばもらわなきゃ今日一日やってけない!!」
って本気で思って、
それでもすぐには目が覚めずうとうとしちゃったんだけど
6:30頃にどうにかこうにか起き上がって
ほんのちょっとだけでも!
と開いたのがこの箇所。

 

「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と、
は仰せられる。

「あなたの上にある私の霊、
 わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、
 あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、
 すえのすえの口からも、
 今よりとこしえに離れない。」とは仰せられる。

イザヤ59:21

 

ここ一連の取り扱いですでに例の事件から立ち直りつつはあったけど、
このみことばでさらに後押しされた!

 

そう、この約束がなかったらおれは何も語れない。

 

しかも、チャペルでのメッセージも、
メッセージはいまひとつピンと来なかったというか
迫りを感じたわけじゃないんだけど、
やっぱりタイムリーで、神様スゲェェ!!ってなった。

 

母親への霊的依存が解けて、
新たに信仰の自立を目指す今年度に先駆けて語られたのが
「わたしよりも父母を愛する者はわたしにふさわしくない」
というところだったから。

 

さて今日は、
ながらく休学してた友達が
週一日限定で復学する日。

おれはあいつからすでに忠告を受けてる。

あいつがこの二年間彼のためにしてきたことを、
おれがあいつにしてしまったようなことで
滅茶苦茶に破壊してしまうことがないようにと。

そうなったらもう取り返しはつかないと。

 

おれが思ってるよりずっとその根が深かったことを知らされて。

今のおれが、かつて彼にそう思わせてしまった要素を
どれだけぬぐい去れてるのかはわからない。

こないだあいつにしちゃったばかりだから。

でも、失敗を恐れて彼との関わりを避けちゃうのが
一番ダメな態度だから。

おれは逃げない。

自分の役割から逃げない。

なぜなら、今朝またみことばもらったんだ!!

 

「神である主の霊が、わたしの上にある。

 はわたしに油をそそぎ、
 貧しい者に良い知らせを伝え、
 心の傷ついた者をいやすために、
 わたしを遣わされた。

 囚われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
 の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、
 すべての悲しむ者を慰め、
 シオンの悲しむ者たちに、
 灰の代わりに頭の飾りを、
 悲しみの代わりに喜びの油を、
 憂いの心の代わりに賛美の外套を
 着けさせるためである。

 彼らは、義の樫の木、
 栄光を現すの植木と呼ばれよう。」

イザヤ61:1-3

 

もちろんこの「わたし」が本来イエス様のことを指してるのは知ってる。

でも、神様がこのみことば通して、
今おれにそのイエス様と同じ力と役目を付与してくださったのを確信した。

もちろん高慢にならないように細心の注意を払わなきゃいけない。

今まで以上にもっともっと祈り深くならなきゃいけない。

ただただ、感謝したい。

もう一度彼と関わるチャンスを与えられたことに。

 

神様、今度こそ
彼の心の痛みに
「正しく」寄り添えますように。

ただずけずけと彼の心に
土足で入ってしまうことなく、
でも彼を突き放すことなく
どこまでも愛することができますように。

 

それと、彼の復学を前にして
あいつからの忠言を受けられたことを感謝します。

あれがなかったら本当にやばかった。

神様あなたは本当に必要なことは
必ずしてくださるお方です。

だからこそおれはあなたに信頼する。

自分のことは信用できないが、
おれのより頼むあなたは決して失敗しないことを信頼します。

だから、神様、
今日も導いてください。

よろしくお願いします。

 

国と、力と、栄とは、
限りなく汝のものなればなり。

アーメン。