今日は友達の結婚式。

今日は幼馴染でクリスチャン仲間の結婚式だった!

とても祝福されたいい式だった、
メッセージでは創世記から結婚の始めが語られて、
やっぱり神様は結婚を本当に祝福しておられて、
結婚を通しておれたちを祝福したいと願っておられることを改めて思った。

 

確かに神様の栄光を現すために結婚するんだけど、
まずはそれ以上にというかそれ以前に、
神様から与えられた結婚をフルにマックスに喜び満喫することが
一番神様の望んでおられることなんじゃないかなって、
式と披露宴を通して思った。

 

余興はクリスチャン関係が多いから
すごく清らかな雰囲気だったな、
後半にそれをぶち壊しちゃうお下劣なのが一個きて、
ゲンナリしちゃったけど(おまけに超時間オーバー!!)、
むしろあれがこの世の標準レベルなんだよね。

 

かえって今日のご列席の方たちには、
この披露宴は世間一般でよく行われてるものとは
全然違う空気が満ちていることを感じられたのではないかなと思う。

典型的なこの世モードのが一個入ったことによって
かえってそれが際立ったかなw

 

 

そして・・・

 

 

やっぱり、人の結婚式見ると、
自分のこと考えちゃうよなぁ・・・

 

相手も定まってないうちから考えたってしょうがないことだけど、
やっぱりおれは普通の式を挙げるわけには行かない人間だから。

ドレスなんか着たくない。着れるわけない。

妻と呼ばれていいかは保留、
でも彼女とはやっぱり呼ばれたくない。

聖書が明確に定めたことに関してはなるべく忠実でありたいとは思う、
でも単なる伝統に過ぎないことは徹底的に排除したい。

 

純粋に、神と人との前に結婚を誓うのに必要なことだけを残して、
それでもって、自分がいちいち心を刺されてせっかくの幸せな場で
悲しい顔をしなくてすむためには、相当異色な方法を取らざるを得ないだろう。

 

多くの人には奇をてらってるようにしか見えないかもしれないし、
おれの立場上、神学的なことがどーたらと方々から批判を受けてもおかしくない。

 

でも、自分のワガママを通したいんじゃなくて、
ただ人生の超重要な場面で自分をひとつも偽りたくないってだけなんだ。

そして、単にやりたいように強引に決行するのではなく、
ちゃんと、自分がどんな意図を持ってそのような方法を、
スタイルをとったのかを皆さんに説明したい。

それも、自分の人生に神様がどうやって関わって、
おれをそこまで導き励まし続けてくださったのかを証しとして。

 

おれの結婚の障害ならいくらでもあるだろう。

でも神様は絶対それらを乗り越える知恵や力を与えてくださる。

それだけがおれの希望。

人間的に考えれば、物議をかもすのが面倒だからと
式なんか挙げずに籍を入れちゃうか
無理やり伝統的な方法に従うのが楽だろう。

でもそれじゃ意味がないんだ。

それじゃぁ、自分にも周りの人にも、
なにより神様に対してウソの誓いを立てることになってしまう。

そうではなくあくまで自分の姿に忠実に、
しかしそんなおれに対して神様がどれだけ特別な愛情を注いでくれたか。

おれみたいな、普通の人の幸せを望むことも困難に見える人間にも
結婚の祝福を下さる神様が、どれだけ寛大で全能なお方であるかってことを、
おれの結婚を通して告げ知らせたい。

それが多くのセクシャルマイノリティ仲間の希望にもなるはずなんだ。

 

今日はそんなことを考えた一日でした。

 

 

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!!!!!!!!!!!!!!

 

 

神様~!!結婚したーい!!!!

できれば霊的波長ばっちり一致の□と!!

よろしくお願いします!!