「ディボーションのすすめ」から示されたこと①

今日は新入生向けオリエンテーションの一環で、
ディボーションについてのお話が舎監からあった。

去年も一昨年もやったんだけど、
おれは1年の間にあっという間にディボーションが
ガタガタに崩れちゃってたから、
新しい気持ちでこの講習を受けていた。

 

まぁ、今月の頭からこうやってブログ形式で
ディボーションすることで、
自分なりに続けやすい形を模索し始めたんだけど、
とにかくその前は超グダグダだったから。

 

まず3回目に読む資料を先生がていねいにガイド
してくださってる間、すごく示されることがあった。

 

おれがあいつの心に土足で上がり込んでしまって
ひどく傷つけ激しく怒らせ
別の友達まで危険に巻き込むようなことをしでかしてしまったのは
単におれの思慮が足りなかったとかいう以上に
(あいつの忠告は確かに正しいと思うけど)
おれが日々主の導きを求めていなかったからなんだってわかった。

 

そりゃ、今回のことでしっかり反省して、
同じ過ちを繰り返さないように
もっと賢く慎重になる努力はしなきゃいけない。

 

でもどうしたって、おれの生きてきた環境とか、
おれの生まれ持った思考回路の性質とか、
今まで受けてきたいろんな人からの影響とかによって、
おれが予知できる危険とかは限られてくる。

 

でもおれが普通によく考えても思いつけない範囲の
避けなければいけない危険な言動も、
もし主とちゃんと交わって日々導きを求めていたなら、
必ず「ゴッド・ストップ」をいただいてたはずなんだ。

 

あの頃のおれは、それを聞けるほど
ちゃんと主の言葉に耳を傾けてなかった・・・

日々の生活の中で流されるままに、
霊的なこの人が言うんだから間違いないだろう、とか、
恥ずかしながらそんな感じで、
ちっとも自分自身で神様に「これでいいんでしょうか」って
尋ねることもせず行き当たりばったりで進んでしまってた。

そりゃあ、やらかすわ。。。

 
ディボーションが欠けてることが、
自分の霊性を落とすだけじゃなく、
周りの大切な人たちをたくさん巻き添えにする
非常に危険なことなんだってことを、
やっと少し学習した・・・

あいつの言葉と、今日の学びが、
結びついた。

正直受け止めるのはキツいことだったけど、
確かに伝道者としての意識の低さが
こんな形で危険をはらんでたってこと、
今回のことがなかったらこの先よっぽど後に、
どんな恐ろしい形で露呈されていただろうと思うと
ゾッとするとともに、
神様があいつの心を犠牲にしてでも今回
こんな形で早めに示してくださったあわれみの大きさを思う。

そしてあいつに本当にすまないことをした。

ここに書いても直接謝っても意味はない。

ほんとうに、決断してこんな自分にケリをつけて、
新しい生き方を始めることしか、
あいつへの謝罪にはならない。

このことが、学びの中で示されたことのひとつめ。
長いので記事を分けます