ちょっと前にもらってるみことば、記録しとかなきゃ

母教会での月刊連載の原稿書いてて思い出した。

最近もらったみことば、

頭の片隅には残ってたけど、

今一度ちゃんと書き留めとこう。

 

「わたしはあなたの前に進んで、

 険しい地を平らにし、

 青銅のとびらを打ち砕き、

 鉄のかんぬきをへし折る。

 わたしは秘められている財宝と、

 ひそかな所の隠された宝をあなたに与える。

 それは、

 わたしがであり、あなたの名を呼ぶ者、

 イスラエルの神であることを

 あなたが知るためだ。

 わたしのしもべヤコブ、

 わたしが選んだイスラエルのために、

 わたしはあなたをあなたの名で呼ぶ。

 あなたはわたしを知らないが、

 わたしはあなたに肩書きを与える。」

(イザヤ45:2~4)

 

自分が歩もうとしている道は、「○○教会の伝道師」というような

わかりやすい肩書きのない、誰もしたことのない働きかもしれない。

人からは「で、何やってるの?」と問われて、

うまく説明もできないような働きになるかもしれない。

でも、その新しい険しい道を切り開くのは自分ではなく神様であり、

神様が自分に肩書きを下さる、そう約束してくれたから、

不安がゼロと言えばウソになるけど、心の底の大きな平安はある。

 

それと、このみことば。

「わたしは…エルサレムに向かっては、

 『再建される。

  神殿は、その基が据えられる。』と言う。」

(イザヤ44:28)

 

揺るがされて、ガッタガタのおれの信仰。

神殿は、聖霊の宮であるおれ自身のことだって、

読んだ瞬間にそう思った。

その神殿であるおれの基、

イエス・キリストへの信仰という土台が、

据え直されるんだって。

「再建せよ。据えよ。」という命令じゃなく、

予告。宣言。約束。

 

すごく嬉しい。

そんなテンションとかは上がんないけど、

静かな喜び。

ああ、おれがやみくもに何か改善しようと足掻く必要はないんだって、

すごく安心した。

 

「信仰がなくなっちゃわないように、

 聖書ちゃんと読み続けなきゃ・・・

 ちゃんと毎日、お祈りしなきゃ・・・」

っていう苦しさへの違和感も、

Lちゃんの言葉とかで裏付けられた。

 

聖書とか、お祈りとかから意図的に離れていると、

かえってそれ以外の、一見神様と関係なさそうなものの中に

神様からの間接的なメッセージを敏感に受け取るようになってたりする。

 

結局神様を求め、都合よく頼ってる自分。

でもこれでいい。今は。

神様無しじゃやってけないことなら、ちゃんとわかってるから。

 

自堕落な生活に我ながら呆れるし、

このままじゃダメってことも自覚してる。

 

でも、今のろくに何もできてない自分のことも、

神様が愛してくれてるってメッセージを、

今は貪欲に浴びていたいんだよ・・・

 

そうそう、書かなきゃ自分がそう思ってることも

なかなか常時自覚はしてなかったけど、

改めて書いてみて、

さっきの雅歌はちゃんと神様からのレスポンスだったんだなって思う。

 

神様ありがと。

 

それと、誕生日プレゼントとして

ひそかにあなたにだけお願いしてあった例のブツ、

まだもらえてません。

もう誕生日は過ぎたけど、

まだ待ってます。

あまり「祈りが具体的に聞かれた体験」を

記憶として持ってないので、

これは内心すごく期待してるんです。

ダメならダメではっきり教えてください、

でもこれはすごく欲しい。

待ってます。よろしくお願いします。