本気になってしまった。。。

ずっと、抑え込んできたのに。

考えないように、気づかないようにしてきたのに。

 

本気で好きになってしまった。。。

 

こんなにハードルの高い恋なんて

冗談で済ませていられたら、どれだけ楽だったろう

 

しかもうっかり、うつ真っ最中の母親に本気の気持ちを話してしまい

心配のタネを増やしてしまった・・・

 

今までは冗談めかして「◎◎ちゃんと結婚したい」とか言ってたし

母親も「あんたと◎◎ちゃんなら最強コンビだろうね」とか返してくれてたから

つい気が緩んじゃってたのもあるかな

 

神様おれはいったいどうすればいい?

神様、勇気とチャンスをありがとう!

昨日までの3泊4日は、母方の田舎。

宗教とか興味ないおじちゃん
元から人の話を聞かない上に認知症入りだしたおじいちゃん

そんなおじいちゃんの宗教に付き合わされて
宗教うんざりになった感じのおばあちゃん

この三人に伝道しなきゃというプレッシャーはきつかった。

 

まずは、2回の脳梗塞で体が不自由になって
つらい思いしてるおばあちゃんに徹底的に寄り添うこと、
それはわかってたから、
できるだけのことはしたけども、
お祈りも何度か一緒にできたけども、
やっぱり決め手の一押しはできずじまいだった。

というか、したつもりだけど、かわされたというか。

 

そんなわけで複雑な思いで帰ってきた昨日だった。

 

でも今日は、修士論文のためのLGBTインタビューに協力する中で、
わずかだけど最後に証しと伝道ができた!
って思うことがあった。

クリスチャンであることは生い立ちなどの紹介の中で話してあったけど、
ずっと様子を見ていた。

 「最後に、子供たちにこれを伝えて欲しい、って言うのはありますか?」

と訊かれたとき、「これだ!今しかない!」という確信があった。

 

「これは、個人の信仰から出ていることなので、
これを直接伝えて欲しいと言うのは無理だと思うんですけど、
是非これを伝えたいって自分が今思っていることです。

『君は神様が作ったユニークな作品なんだ。
 誰が何と言おうと、君は素晴らしい。神様に愛されてる。』

神様っていうことをダイレクトに言えなくても、
『君は愛されるために生まれてきたんだよ』
これは是非伝えたいと思っています。

自分も、性別違和のことで一番つらかったとき、
それがあったから死なないで乗り越えられたんです。」

 

インタビュアーの人も神妙に聞いてくださったけど、
思いがけず、一緒にインタビューを受けた当事者の一人が
「俺そういう話初めて聞いたんすけど、
 もしそういう風に神様を信じれてるなら、
 そのことってすごい嬉しいですよね!」
と、感動した様子で言ってくれた。

いつかもっと深く語れたらな。

基本的にイエーイって感じのタイプだけど、
こういう風に反応してくれたってことは絶対招かれてる。

 

神様、またチャンスをください。

そして、勇気を。

 

そして、解散した後もうひとりのLGBT仲間とパフェったんだけど、
その時にも少し、信仰の話ができた。
しかも、彼は、今後のサークル活動の中で是非
キリスト教セクシャリティの話もやってほしいと言ってくれた。

これも大きなチャンス。

 

ノンクリの中に出て行くこのような活動の中で、
神様が用いて下さろうとしてるのを感じる。

キリスト教界内に目を向けると怖くなることもたくさんあるけど、
神様が絶対導いてくださる、大丈夫だって何度も自分に言い聞かす。

朝は、悲しい記事を読んで憤ったり凹んだりしてたんだけど、
一気に元気になった!

 

この活動は、神様のため、また仲間たちのためと思ってしてるけど、
それがすごくおれを癒してくれる。

 

感謝だなぁ。

停滞。。。

なんか、心身ともにバテてると、メッセージも入ってこない。

ディボーションも、ただ聖書を量だけ読んでるって感じ。

まぁ今列王記で、励まされるってよりかは
げんなりする記事が続くというのもあるけど、
とにかく少なくとも調子が良かったときみたいに
ぐんぐんみことばが開かれる状態じゃない。

 

でも、今日祈祷会の祈り合いのとき一緒に祈った友達が、
「ディボーションガイド使ったら?
 俺今『エマオの道で』使ってるんだけど、いいよ」
って教えてくれて。

家にあるし、前使ってたこともあるんだけど、
ここんとこは自由な導きでみことばが開かれることに
やみつきになってたりとか、
ガイド読んで満足して終わっちゃうみたいなのを
避けるためにってことで長いことガイドつかってなかった。

でも、そうだね。

今のおれにはきっとガイドが必要だ。

料理する元気がないなら、
無理やり生のまま食べないで、
誰かに料理してもらうことも時には大事だ。

神様、教えてくれてありがと

ささげたものは、きよくなる

民数記16章読んでたら、
に逆らった250人が裁きとして焼き殺されたシーンがあった。

でもその後、神様は、彼らがささげた火皿を使って
祭壇のコーティングをするようにと命じてる。

「・・・罪を犯していのちを失ったこれらの者たちの火皿を取り、
 それらを打ちたたいて延べ板とし、
 祭壇のための被金(きせがね)とせよ。
 それらは、彼らがの前にささげたので、
 聖なるものとなっているからである。・・・」(民16:38抜粋)

不思議だなと思った。

でも、おれがどんなひどい罪人であっても、
神様のためにと思ってささげたものは、
きよい供え物として受け取られるんだと思ったら、
なんかなんともいえず嬉しくなった。

他愛もないディボーション。

今読んでる本、

「なぜ、この人と話をすると楽になるのか」

 

コミュニケーションの訓練をイチからやり直さなきゃって思ってたら
新聞の広告欄で見かけて気になって買った本。

人は会話そのものを目的として会話する。

だから、他愛もない話というのは
私たちが思っている以上に大事なものなんだと。

 

おれは、「ミのない話」があまり好きでないと思ってた。

内容がないような話を見下げてた。

でも、そういう会話も、心の栄養として大事なものだったんだ。

 

ひるがえって、神様とのコミュニケーションである
ディボーションはどうだろう。

他愛もない祈りとか、他愛もない聖書の読み方みたいな。

祈りだったら、さっきトイレで切れ痔になったんだけど
(ちなみにおれにとっては日常茶飯事である)、
なんか「イエス様も切れ痔になったんですか?」ってふと祈った。

祈ったって言うと違和感あるけど、
要するに心の中で神様に喋りかけたんだから、これも祈りだよね。

 

あと、聖書読んでるとき、
そんな重要な指針を得るとかじゃなくて、
なんかストーリーとか言い回しが妙にツボにはまっちゃったりして
「ウケる!!」ってなる。

そういうのって不敬虔な読み方って言われそうだけど、
他愛もない話しかけ方があるなら、
受け取り方も、マジメマジメばかりじゃなくて、
ときにそういうユル~い部分があったっていいと思う。

だって、神様が人をそういうユーモアも含めて造ってくださったんだから、
そこを排除した形で神様と関わるっていうのは
むしろ不自然なんじゃないか?!
って思った。

 

「私たちにすべての物を豊かに与えて

『楽しませてくださる』」神様だからね!!

好きな人が多すぎる。

男女関係なく、相手がどう思ってるかとかあらゆる現実性を度外視で数えたら、
結婚したいってくらい好きな人がたぶん六人もいる!!!

どうしよー笑

もうどんな祈り方したらいいかもわかんないよww

とりあえず、

そんなに大好きになれる素晴らしい人たちを
こんなにたくさん与えてくださったことに感謝♪

ありがとう神様、今おれすっごく幸せだよ。

 

そんでもって、
最近水谷潔先生のブログで連載してる婚活十戒なるものの中で、

「異性が10人いたらそのうちの3人とは『結婚できそう』と思える」のが
成人の条件であり、
「10人いたら5人とはオッケー」というのが「成熟した大人」であり、
「10人いたら、7人はいけます」というのが「達人」である。

っていうのがあった!

まぁ、おれは「異性」の定義がとっても難しいから、
ノンケの人に比べれば二倍の選択肢が広がってるのかもしれないけど、
どっちかの性に絞ったとしても2~4人は『結婚できそう』と思えてるから、
もしかして意外と結婚の準備が出来ちゃってる?!おれ?!ワーww

だといいな!

でも確か、結婚セミナーとかで、
「神様にお祈りする条件は細かいほどいい」
的なことも聞いた気がする。

叶えて頂けるかはそれがみこころにかなってるか次第だから
おれにはわからないわけで、
とにかくおれの要望を素直に正直に伝えることが大事だよね!!

というわけで・・・

 

神様。
おれの伴侶になる人には次の条件を望みます。(優先順位は順不同)
・おれのセクシャリティを丸ごと受け止めてくれる人。
・おれといることで幸せになってくれる人。
・子どもを愛し育てようという意志がある人。
 (子供好きでなくてもいいです)
ミニストリーを共にできる人。
 まったく同じ働きを四六時中できる必要はないけど、
 時と場合に応じて協力したり、ある程度の連携が取れる人。
・金銭感覚がだいたい同じ人。
・たいていの食べ物を、文句言わずにおいしく食べられる人。
・スキンシップも含めた愛情表現をたくさんしあえる人。
・信仰年限はこだわらないけど、だいたい同じ歩調で、
 時にはおれのこと引っ張ってくれて、
 時にはおれが引っ張ってあげられるような人。
・芯がしっかりしてるけどマジメすぎず、いっしょにバカがやれる人。
 いっしょにはやれなくてもおれのバカを笑って見ててくれる人。
・おれといるとき、話す/聞くのバランスがちょうどいい人。

 

おお、結構出たなw

こういうの書き出すのは案外初めてかも知れない。

こないだ早速、「具体的な祈り」が聞かれたから、
やっぱり祈りは具体的なほど、
叶えられた時の喜びが大きいよね!

というわけで、思いっきり欲張ってみたw

さぁ、どうなるでしょうか。

神様、いつまでと具体的な期限はおれの決められることじゃありませんが・・・
体力的に、できたらあと五年以内にはって思いがあります。

ミニストリーと子育ての両立も難しいかもしれないけど、
やってやれないことはないと思うし。

よろしくお願いします!かなりガチで!!!